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今からちょうど80年前、
1938年のアメリカ・シカゴでロバート・メイという人物によって赤鼻のトナカイ「ルドルフ」は誕生しました。

真っ赤なお鼻のトナカイさんは、いつもみんなの笑いもの
でもその年のクリスマスの日サンタのおじさんは言いました
暗い夜道はぴかぴかのお前の鼻が役に立つのさ
いつも泣いてたトナカイさんは今宵こそはと喜びました

ここで歌われている「トナカイさん」には名前がありまして、
その名を「ルドルフ」と言います。


英語の歌詞ではこうなります

Rudolph, the red-nosed reindeer
had a very shiny nose
and if you ever saw it
you would even say it glows
all of the other reindeer
used to laugh and call him names
they never let poor Rudolph
join in any reindeer games
then one foggy Christmas eve
Santa came to say:
"Rudolph with your nose so bright
won't you guide my sleigh tonight?"
then how the reindeer loved him
as they shouted out with glee (yippee)
"Rudolph, the red-nosed reindeer
you'll go down in history."



歌詞の中にあるように
you'll go down in history.
ルドルフは歴史に名を残すトナカイになりましたね。


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さて、ルドルフの産みの親、ロバートメイ氏について少し語りたいと思います。

ロバートメイ氏は当時アメリカの三大デパートと言われていたモンゴメリーワード社の広報部に勤務していました。


ロバートは妻のエヴェリンと一人娘のバーバラと仲睦まじく幸せに暮らしていました。
ところが妻エヴェリンが癌におかされてしまいます。

日に日に身体が弱まる妻を見てロバートは必死にお金を工面しようとしましたがうまくいきませんでした。

広告部門で働いていても妻の癌の治療費に充てるに充分なお金にはなりませんでした。

ロバートにとって妻と娘バーバラは宝物でした。

必死に働いても妻の治療代にすらならない絶望の中にいたとロバートは回顧しています。


あるときまだ幼いバーバラ(4才)が言いました。
「どうしてママは他の子のママと違うの?」

無邪気に聞くバーバラの言葉にロバートは涙が溢れて止まらなかったそうです。


そして娘と妻を少しでも励まそうとロバートは本を1冊作ることを決めました。

クリスマスに何かをプレゼントしたくても、もうロバートにはお金がありませんでした。

本だったら、紙とペンさえあれば作れる。
そう思ったロバートは精魂込めて本を一冊作り上げる決意をしました。

そして本を書き始めるのですが、書いてる途中に、妻エヴェリンが他界してしまいます。

「お母さんはいつ起きるの?」
と聞くバーバラを抱きしめてロバートは声を上げて泣きました。

けれど、本を書くことをやめませんでした。

妻が亡くなって、ガランとした部屋の片隅でロバートは娘のために書き続けました。

本の完成を待たずに命を散らした妻のためにも。私達の娘を喜ばせるためにも。

そしてクリスマスを迎える頃、ロバートの手作りの本が完成しました。

それが今に語り継がれる「赤鼻のトナカイ」です。

完成した本をさっそくロバートは娘に読んで聞かせました。

バーバラはこの本をとても気に入っていつも目を輝かせて聞き入っていたそうです。

そして毎晩のように赤鼻のトナカイを読んでとせがみました。


その年、勤務先であるモンゴメリーワード社のクリスマスパーティーを欠席しようとしたロバートに
会社の人たちは出席するように熱心に誘ったそうです。

奥さんを亡くしたばかりのロバートを元気づけたいと皆は考えていたそうです。


シカゴにあったモンゴメリーワード社のビル
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手持ち無沙汰なロバートは、完成した絵本を抱えてパーティに出向きました。

モンゴメリーワード社はアメリカで最初に通信販売を行った会社で有名でした。

田舎でなかなか都会のものを手に入れられない人たちへカタログ、最初はチラシのようなもので電話で注文してもらい、
それを販売して会社を大きくし、最終的にシカゴに大きなデパートを開業しました。

(デパートはその後、閉店しましたが、通信販売という形でネット販売事業者として2000年代にモンゴメリーワード社は復活しています)


そのモンゴメリー社は毎年クリスマスの時期に本を無料で配布していました。

そういう風習もあり、ロバートが自作の絵本を持ってきたことが知れると皆の前で読んでほしいと言われました。

そしてそのパーティの場でロバートは赤鼻のトナカイ物語を読んだのです。

パーティの参加者たちはその夜のことを忘れられないと言います。

ロバートが読み始めたとたんざわざしていたパーティ会場が次第に水をうったように静まり返り、

ロバートが本を読み終えたとたん、割れんばかりの拍手が起きたそうです。

そしてモンゴメリーワード社の社長はその場で決めました。

翌年うちのクリスマスプレゼントとはこの本に決定したと発表したのです。

そして1939年のクリスマスの時期に、
赤鼻のトナカイはモンゴメリーワード社から顧客へ宣伝を兼ねて無料で配布されたのです。

そしてリリースした途端に250万部の売り上げを達成したのです。

赤鼻のトナカイは一気に人気本となりました。

しかし同じ年1939年に第二次世界大戦が勃発。

戦時下で紙もペンも制限がかかってしまい本を売ることを断念するしかありませんでした。

第二次世界大戦はその後6年も続きました。
(第二次世界大戦、1939年~1945年)

そして戦争がようやく終わった年の翌年に、
赤鼻のトナカイの本を再び売り出したのです。

すると前回1939年を上回るなんと350万部を売り上げたのです。

ラジオでも読んで聞かせる番組が組まれ、
またたくまに赤鼻のトナカイはアメリカ人の家庭に浸透していきました。

そこからちょっとしたミラクルが起きます。


赤鼻のトナカイを作ったロバートメイの実の妹が結婚し、その夫が
今に伝わる赤鼻のトナカイを作詞作曲したのです。

ロバートの妹の夫はジョニーマークスと言います。

ジョニーは音楽を学んでいて自分で作詞作曲をしていました。

1948年、ジョニーは義兄の本「赤鼻のトナカイ・ルドルフ」を題材にして曲を作りました。

そして翌年、ジーンオートリーという歌手が歌い、リリースしました


歌は200万部を超える大ヒット、当時ビルボード1位に輝いたそうです。


その後は各国で歌われ、世界でもっとも歌われるクリスマスソングの1つとして今も君臨しています。


ところでなぜトナカイを題材に選んだのでしょうか。

ロバートメイがそれに答えています。

娘バーバラと動物園に行ったときにバーバラはトナカイをとても気に入ったんだ。
だから物語はトナカイを主人公にしようと思った。
そして赤鼻のトナカイを思いついたんだ。

ロバート自身、子供の頃は虚弱体質で身体が小さく、よく学校でからかわれていたそう。

赤鼻のトナカイも周りと違う赤く光る鼻を持ち、笑われて傷つく毎日を送っている

でも霧の夜、前が見えず困ったサンタを救ったのがルドルフ(赤鼻のトナカイ)だった。

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サンタ「君はみんなと違う鼻を持っているね」
その言葉にまた皆と違うことを指摘されたと思ったルドルフは泣きだしました。

それを見たサンタは優しくこう言ったのです。
「君は皆と違うことで苦しんだんだね。でもね、今夜私は君にお願いがあるんだ。クリスマスを待っている世界中の子供たちへプレゼントを配りたいが霧が深くて前が見えない。君のその鼻で夜道を照らしてくれないか」

サンタクロースから直接そう言われてルドルフは驚きます。

皆と違うから、サンタクロースを助け世界中の子供たちの元へ駆けていける。

その日からルドルフはトナカイの中でも英雄となったのです。

ちなみに古くからサンタクロースのそりを引くトナカイは8頭と語り継がれていて
トナカイたちはそれぞれに名前があります。

□サンタクロースの8頭のトナカイたちの名。
Dasher(ダッシャ-)
Dancer(ダンサー)」
Prancer(プランサー)」
Vixen(ヴィクセン)」
Comet(コメット)」
Cupid(キューピッド)」
Donder(ドンダ-)」
Blitzen(ブリッツェン)」


この8頭はトナカイの中でも英雄です。
あのサンタクロースのソリを引っ張り
クリスマスの夜空を飛び回るからです。

そして9頭目にサンタクロースがお願いしたのが
特別な赤い光る鼻を持つ「(ルドルフ)」なのです。


このお話はそのままロバートの理想と重なると言います。

小さい体で笑われた過去を持つロバートでも、人と違っていても

きっと未来は明るい。

僕と妻と娘の未来を照らしてくれるように。

ルドルフの鼻をぴかぴか光らせたんだと。

モンゴメリーワード社は赤鼻のトナカイ・ルドルフの物語の権利を全て、
生みの親のロバート・メイに渡しました。

これは当時のモンゴメリーワード社としては初の英断でした。

妻を亡くし娘と二人途方に暮れたときに生まれた物語、赤鼻のトナカイ。

苦しみのどん底から、這い上がった物語が背景にありました。

これが1938年に起きた小さなクリスマスの奇跡です。

背景を知って聞く赤鼻のトナカイはまた違う面を照らしてくれそうです。








by imalatebloomer | 2018-04-30 23:58 | history

【ジョンベネちゃん殺人事件】


1996年クリスマスの日、1人の少女が死んだ。



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日本でも複数のメディアが取り上げて一躍有名になったジョンベネちゃん殺人事件。

いまだ犯人が特定されていない未解決の事件です。

あの日、一体何が起きていたのか。時系列に沿って書いてみたいと思います。






【家族構成】

父親ジョンラムジー
(会社経営者で資産家。事件当時コロラド州ボルダーでTOPの起業家として表彰されている)


母親パッツィーラムジー
(ジョンの2番目の奥さんでジョンベネの母親、ミスコンテストで優勝しミス・ウエストバージニアとなった経験がある)


兄バークラムジー
(ジョンベネの3歳年上、当時9歳だった)


ジョンベネラムジー
(殺害された当時6歳、いくつもの美少女コンテストで優勝をする美少女だった)



その他にジョンは前妻との間に3人の子供がいます。
ジョンベネちゃんにとっては年の離れた異母兄弟になります。


長女エリザベス
(1992年に交通事故にあい他界。ジョンベネのお墓はそのエリザベスのお墓の隣りに立てられ、また2006年に病死したジョンベネの母パッツィーはジョンベネの墓の前方に眠っている)


長男アンドリュー
(ラムジー家に滞在することがあり、事件当時も12月19日まではジョンベネ一家とともに滞在していたがクリスマスを自身の母親と過ごすためラムジー家をあとにした)


次女メリンダ
こちらもアンドリュー同様によくラムジー家に滞在していたそう)









【事件が起きた場所】


コロラド州ボルダーにあるジョンベネの家(本宅)、その地下室で彼女は遺体となって発見された。




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地下室はクリスマスプレゼントを子供たちに見つからないように毎年隠しておく場所でもあった。



ラムジー家は裕福で、ミシガン州に別荘を持っていた。


このときも翌日には別荘があるミシガン州で冬休みを楽しもうと出発する予定だったそう。




またジョンベネの異母兄弟アンドリューが12月19日までこの本宅にいたことが確認されている。


アンドリューは実の母親とクリスマスを過ごすため、ラムジー家を後にした。









【1996年12月25日】

12月25日クリスマスの夜、ラムジー一家は、(両親、ジョンベネ、兄のバーク)、4人揃って近くの友人宅でクリスマスディナーを楽しんだ。




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この日、夜遅くまで起きたジョンベネは疲れて帰りの車の中で寝てしまった。





【10:00PM】

寝てしまったジョンベネを父親のジョンが抱き上げてベッドまで連れて行き寝かせた。



これが両親が生きているジョンベネを見た最期となった。


JonBenét had been up late with her parents for a family friend's party.







【ラムジー家の本宅】

大きな家で奥行がある作り

後から増築したのが画像からも分かる。





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3階はジョンとパッツィのベッドルームそして夫妻それぞれのドレッシングルームがあった。


2階にジョンベネの部屋と、バークの部屋、そして滞在時用に異母兄弟アンドリューとメリンダの部屋もそれぞれあった。







【1996年12月26日】


【深夜0時】 

ラムジー家のキッチンの灯りが点いていたことを近所に住むスコット・ギブソンに目撃されている

The family’s neighbor, Scott Gibbons, remembers seeing a light on in the Ramseys’ kitchen.




【2:00 AM】
近所に住むメロディ・スタントンがラムジー家から悲鳴のような声を聞いている


さらに彼女の夫がその悲鳴の直後にコンクリートに当たる金属音のような音を聞いている


しかし数年後、メロディは悲鳴を聞いたのは2日前の夜だったかもしれないと当時の証言を訂正している






【5:30 AM】

ジョンベネの母パッツィー起床。コーヒーを淹れようとキッチンへ向かったところ、ノート2ページ半に書かれた脅迫状を見つける。




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そこには「ジョンベネを誘拐した、娘を返してほしければ11万8,000ドル(約1,266万円)を現金でよこせ」と手書きで書かれていた。



奇妙なことに、この11万8千ドル(約1,266万円)はその年のジョンベネの父ジョンのボーナスの額とほぼ同額だった。


さらにこの脅迫状はラムジー家のキッチンに置いてあったノートに書かれたものと判明。


つまり、犯人はジョンベネを殺害したあとに、その家の台所で脅迫状を書いたことになる。

他に類を見ない犯行だと警察も発表している。







【5:45 AM】

この脅迫状を発見してすぐに、パッツィーは友人であるホワイト夫妻とファーニー夫妻に電話をしている。







【5:52AM】

パッツィーはようやく警察へ通報をした。


娘が誘拐された、脅迫状が置いてあると言い、警察に早く来て、早く来てと訴えているパッツィの音声が残されている。


Patsy finally calls the police, detailing the supposed kidnapping and the demands on the ransom note.







【5:59AM】

フレンチ警察官が一番最初にラムジー家に駆け付けた。





【6:00~8:00AM】

4人の警察官が到着。


さらに、このときジョンベネの両親は自分たちの友人を複数電話で呼び寄せている。






【8:10AM】

誘拐だと思っていた彼らはラムジー家の邸宅をくまなく探し始めた。


大勢で家中を歩き回りジョンベネを探し回ったために現場が乱されてしまった。


このせいで犯行当時の家の状況が維持されなかったとして初動捜査を行った警察官らへの不信を招く結果になっている。








【10:30AM】


父ジョンが、少なくとも1時間行方不明になる。ジョンはこのとき郵便物を受け取りに行っていたと答えている。





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しかし後からジョンの発言は嘘だと判断されている。

郵便物は本宅の正面玄関に設置された郵便投函箇所から投函されていたのだ。






【1:05PM】

父親のジョンとその友人フリートの2名が地下の一室で変わり果てた姿のジョンベネを発見。





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後の調べにより発見された当時ジョンベネは頭蓋骨を骨折しており、

さらにダクトテープ(ガムテープよりも粘着性が強いテープ)で口をふさがれ、

両手とウエストは縛られ、

そして首にはコードで巻かれた跡があった。



ジョンベネの直接の死因は「窒息死」と断定されている。



John and Fleet discover JonBenét’s body in a spare room in the basement.





【1:40PM】

父親ジョンが自身のパイロットに電話をし「アトランタへ飛ぶ」用意をするように指示している。

警察がこれを止めた。家族はこの町から今は離れないでくださいと。


ちなみにジョンは自身もパイロットの免許を持っていてジョン自身で飛行機を飛ばすこともあった。





【1:45PM】

警察の言葉を聞き入れて、ラムジー一家は友人のファーニー夫妻の家でその夜を過ごした。

娘ジョンベネが遺体で見つかった家にその夜はいたくなかったのだろうか。


その日、午後2時頃、警察はジョンベネの兄バーク(9歳)にも事情を聞こうしたが両親によって拒否されている。

両親によるとバークはずっと自分の子供部屋のベッドに寝ていて、何が起きていたのか知らなかったと。

しかし、数年経ったあとに、パッツィから通報を受けたオペレーターが、電話を切る前にパッツイの声とは別に男の子の声が聞こえたと証言した。

当時の911通報の音声を分析した結果、そればバークのものだと判断されている。




そして大人になったバークが2年前、初めてテレビ番組に出演した。



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当時の様子を語る彼は終始笑顔で視聴者はその様子を異様に感じた。


当時、自分のベッドに寝ていたとされたバークは母親のパッツィが「私のベイビーがいなくなった、私のベイビーが!」と叫んでいるのを聞いたと証言。


その様子を、笑顔で語るバークは人々の目に奇異に映り、真犯人は兄のバークだとする説が過熱。



インタビュアーが「笑顔だったのは、彼が初めてテレビのインタビューに出たためで、緊張して笑顔になっていたんだ」と、異例のフォローをした。




その後、事件発生の前日に着ていたジョンベネの衣服からDNAが採取され、調べた結果、殺されたときについていたDNAは家族の誰のものとも一致しなかったと判定。



晴れて、ラムジー家は皆、容疑者リストから外れた。




しかし、これに反対する学者もいる。

あのDNA検査は、超微量のDNAだけでも判断が下される。

あれだけで、家族を容疑者リストから外すことには反対せざるを得ないと。






真犯人に結び付く情報を提供した方へ10万ドル(約1千万円)の懸賞金を差し上げるとテレビで訴えたジョンとパッツイー。

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いかがでしょうか。

2018年現在もまだ、犯人特定に至らず。


ジョンベネちゃん殺人事件は未解決のままです。




亡くなった年の大晦日、ジョンベネは埋葬されました。












by imalatebloomer | 2018-04-16 20:56 | mystery