お知らせ

新しくnoteを開設いたしました。
これまで書いてきた記事もすべてnoteに移行します。
私の書く記事はnoteで引き続きお楽しみくださいノ
リンク→ https://note.mu/raileyrailey

[PR]
# by imalatebloomer | 2018-05-18 00:38 | Comments(0)

今からちょうど80年前、
1938年のアメリカ・シカゴでロバート・メイという人物によって赤鼻のトナカイ「ルドルフ」は誕生しました。

真っ赤なお鼻のトナカイさんは、いつもみんなの笑いもの
でもその年のクリスマスの日サンタのおじさんは言いました
暗い夜道はぴかぴかのお前の鼻が役に立つのさ
いつも泣いてたトナカイさんは今宵こそはと喜びました

ここで歌われている「トナカイさん」には名前がありまして、
その名を「ルドルフ」と言います。


英語の歌詞ではこうなります

Rudolph, the red-nosed reindeer
had a very shiny nose
and if you ever saw it
you would even say it glows
all of the other reindeer
used to laugh and call him names
they never let poor Rudolph
join in any reindeer games
then one foggy Christmas eve
Santa came to say:
"Rudolph with your nose so bright
won't you guide my sleigh tonight?"
then how the reindeer loved him
as they shouted out with glee (yippee)
"Rudolph, the red-nosed reindeer
you'll go down in history."



歌詞の中にあるように
you'll go down in history.
ルドルフは歴史に名を残すトナカイになりましたね。


f0365255_23250097.jpg

さて、ルドルフの産みの親、ロバートメイ氏について少し語りたいと思います。

ロバートメイ氏は当時アメリカの三大デパートと言われていたモンゴメリーワード社の広報部に勤務していました。


ロバートは妻のエヴェリンと一人娘のバーバラと仲睦まじく幸せに暮らしていました。
ところが妻エヴェリンが癌におかされてしまいます。

日に日に身体が弱まる妻を見てロバートは必死にお金を工面しようとしましたがうまくいきませんでした。

広告部門で働いていても妻の癌の治療費に充てるに充分なお金にはなりませんでした。

ロバートにとって妻と娘バーバラは宝物でした。

必死に働いても妻の治療代にすらならない絶望の中にいたとロバートは回顧しています。


あるときまだ幼いバーバラ(4才)が言いました。
「どうしてママは他の子のママと違うの?」

無邪気に聞くバーバラの言葉にロバートは涙が溢れて止まらなかったそうです。


そして娘と妻を少しでも励まそうとロバートは本を1冊作ることを決めました。

クリスマスに何かをプレゼントしたくても、もうロバートにはお金がありませんでした。

本だったら、紙とペンさえあれば作れる。
そう思ったロバートは精魂込めて本を一冊作り上げる決意をしました。

そして本を書き始めるのですが、書いてる途中に、妻エヴェリンが他界してしまいます。

「お母さんはいつ起きるの?」
と聞くバーバラを抱きしめてロバートは声を上げて泣きました。

けれど、本を書くことをやめませんでした。

妻が亡くなって、ガランとした部屋の片隅でロバートは娘のために書き続けました。

本の完成を待たずに命を散らした妻のためにも。私達の娘を喜ばせるためにも。

そしてクリスマスを迎える頃、ロバートの手作りの本が完成しました。

それが今に語り継がれる「赤鼻のトナカイ」です。

完成した本をさっそくロバートは娘に読んで聞かせました。

バーバラはこの本をとても気に入っていつも目を輝かせて聞き入っていたそうです。

そして毎晩のように赤鼻のトナカイを読んでとせがみました。


その年、勤務先であるモンゴメリーワード社のクリスマスパーティーを欠席しようとしたロバートに
会社の人たちは出席するように熱心に誘ったそうです。

奥さんを亡くしたばかりのロバートを元気づけたいと皆は考えていたそうです。


シカゴにあったモンゴメリーワード社のビル
f0365255_23320240.jpg


手持ち無沙汰なロバートは、完成した絵本を抱えてパーティに出向きました。

モンゴメリーワード社はアメリカで最初に通信販売を行った会社で有名でした。

田舎でなかなか都会のものを手に入れられない人たちへカタログ、最初はチラシのようなもので電話で注文してもらい、
それを販売して会社を大きくし、最終的にシカゴに大きなデパートを開業しました。

(デパートはその後、閉店しましたが、通信販売という形でネット販売事業者として2000年代にモンゴメリーワード社は復活しています)


そのモンゴメリー社は毎年クリスマスの時期に本を無料で配布していました。

そういう風習もあり、ロバートが自作の絵本を持ってきたことが知れると皆の前で読んでほしいと言われました。

そしてそのパーティの場でロバートは赤鼻のトナカイ物語を読んだのです。

パーティの参加者たちはその夜のことを忘れられないと言います。

ロバートが読み始めたとたんざわざしていたパーティ会場が次第に水をうったように静まり返り、

ロバートが本を読み終えたとたん、割れんばかりの拍手が起きたそうです。

そしてモンゴメリーワード社の社長はその場で決めました。

翌年うちのクリスマスプレゼントとはこの本に決定したと発表したのです。

そして1939年のクリスマスの時期に、
赤鼻のトナカイはモンゴメリーワード社から顧客へ宣伝を兼ねて無料で配布されたのです。

そしてリリースした途端に250万部の売り上げを達成したのです。

赤鼻のトナカイは一気に人気本となりました。

しかし同じ年1939年に第二次世界大戦が勃発。

戦時下で紙もペンも制限がかかってしまい本を売ることを断念するしかありませんでした。

第二次世界大戦はその後6年も続きました。
(第二次世界大戦、1939年~1945年)

そして戦争がようやく終わった年の翌年に、
赤鼻のトナカイの本を再び売り出したのです。

すると前回1939年を上回るなんと350万部を売り上げたのです。

ラジオでも読んで聞かせる番組が組まれ、
またたくまに赤鼻のトナカイはアメリカ人の家庭に浸透していきました。

そこからちょっとしたミラクルが起きます。


赤鼻のトナカイを作ったロバートメイの実の妹が結婚し、その夫が
今に伝わる赤鼻のトナカイを作詞作曲したのです。

ロバートの妹の夫はジョニーマークスと言います。

ジョニーは音楽を学んでいて自分で作詞作曲をしていました。

1948年、ジョニーは義兄の本「赤鼻のトナカイ・ルドルフ」を題材にして曲を作りました。

そして翌年、ジーンオートリーという歌手が歌い、リリースしました


歌は200万部を超える大ヒット、当時ビルボード1位に輝いたそうです。


その後は各国で歌われ、世界でもっとも歌われるクリスマスソングの1つとして今も君臨しています。


ところでなぜトナカイを題材に選んだのでしょうか。

ロバートメイがそれに答えています。

娘バーバラと動物園に行ったときにバーバラはトナカイをとても気に入ったんだ。
だから物語はトナカイを主人公にしようと思った。
そして赤鼻のトナカイを思いついたんだ。

ロバート自身、子供の頃は虚弱体質で身体が小さく、よく学校でからかわれていたそう。

赤鼻のトナカイも周りと違う赤く光る鼻を持ち、笑われて傷つく毎日を送っている

でも霧の夜、前が見えず困ったサンタを救ったのがルドルフ(赤鼻のトナカイ)だった。

f0365255_23541565.jpg

サンタ「君はみんなと違う鼻を持っているね」
その言葉にまた皆と違うことを指摘されたと思ったルドルフは泣きだしました。

それを見たサンタは優しくこう言ったのです。
「君は皆と違うことで苦しんだんだね。でもね、今夜私は君にお願いがあるんだ。クリスマスを待っている世界中の子供たちへプレゼントを配りたいが霧が深くて前が見えない。君のその鼻で夜道を照らしてくれないか」

サンタクロースから直接そう言われてルドルフは驚きます。

皆と違うから、サンタクロースを助け世界中の子供たちの元へ駆けていける。

その日からルドルフはトナカイの中でも英雄となったのです。

ちなみに古くからサンタクロースのそりを引くトナカイは8頭と語り継がれていて
トナカイたちはそれぞれに名前があります。

□サンタクロースの8頭のトナカイたちの名。
Dasher(ダッシャ-)
Dancer(ダンサー)」
Prancer(プランサー)」
Vixen(ヴィクセン)」
Comet(コメット)」
Cupid(キューピッド)」
Donder(ドンダ-)」
Blitzen(ブリッツェン)」


この8頭はトナカイの中でも英雄です。
あのサンタクロースのソリを引っ張り
クリスマスの夜空を飛び回るからです。

そして9頭目にサンタクロースがお願いしたのが
特別な赤い光る鼻を持つ「(ルドルフ)」なのです。


このお話はそのままロバートの理想と重なると言います。

小さい体で笑われた過去を持つロバートでも、人と違っていても

きっと未来は明るい。

僕と妻と娘の未来を照らしてくれるように。

ルドルフの鼻をぴかぴか光らせたんだと。

モンゴメリーワード社は赤鼻のトナカイ・ルドルフの物語の権利を全て、
生みの親のロバート・メイに渡しました。

これは当時のモンゴメリーワード社としては初の英断でした。

妻を亡くし娘と二人途方に暮れたときに生まれた物語、赤鼻のトナカイ。

苦しみのどん底から、這い上がった物語が背景にありました。

これが1938年に起きた小さなクリスマスの奇跡です。

背景を知って聞く赤鼻のトナカイはまた違う面を照らしてくれそうです。








[PR]
# by imalatebloomer | 2018-04-30 23:58 | history | Comments(2)

【ジョンベネちゃん殺人事件】


1996年クリスマスの日、1人の少女が死んだ。



f0365255_20310859.jpg




日本でも複数のメディアが取り上げて一躍有名になったジョンベネちゃん殺人事件。

いまだ犯人が特定されていない未解決の事件です。

あの日、一体何が起きていたのか。時系列に沿って書いてみたいと思います。






【家族構成】

父親ジョンラムジー
(会社経営者で資産家。事件当時コロラド州ボルダーでTOPの起業家として表彰されている)


母親パッツィーラムジー
(ジョンの2番目の奥さんでジョンベネの母親、ミスコンテストで優勝しミス・ウエストバージニアとなった経験がある)


兄バークラムジー
(ジョンベネの3歳年上、当時9歳だった)


ジョンベネラムジー
(殺害された当時6歳、いくつもの美少女コンテストで優勝をする美少女だった)



その他にジョンは前妻との間に3人の子供がいます。
ジョンベネちゃんにとっては年の離れた異母兄弟になります。


長女エリザベス
(1992年に交通事故にあい他界。ジョンベネのお墓はそのエリザベスのお墓の隣りに立てられ、また2006年に病死したジョンベネの母パッツィーはジョンベネの墓の前方に眠っている)


長男アンドリュー
(ラムジー家に滞在することがあり、事件当時も12月19日まではジョンベネ一家とともに滞在していたがクリスマスを自身の母親と過ごすためラムジー家をあとにした)


次女メリンダ
こちらもアンドリュー同様によくラムジー家に滞在していたそう)









【事件が起きた場所】


コロラド州ボルダーにあるジョンベネの家(本宅)、その地下室で彼女は遺体となって発見された。




f0365255_20314020.jpg




地下室はクリスマスプレゼントを子供たちに見つからないように毎年隠しておく場所でもあった。



ラムジー家は裕福で、ミシガン州に別荘を持っていた。


このときも翌日には別荘があるミシガン州で冬休みを楽しもうと出発する予定だったそう。




またジョンベネの異母兄弟アンドリューが12月19日までこの本宅にいたことが確認されている。


アンドリューは実の母親とクリスマスを過ごすため、ラムジー家を後にした。









【1996年12月25日】

12月25日クリスマスの夜、ラムジー一家は、(両親、ジョンベネ、兄のバーク)、4人揃って近くの友人宅でクリスマスディナーを楽しんだ。




f0365255_20402324.jpg




この日、夜遅くまで起きたジョンベネは疲れて帰りの車の中で寝てしまった。





【10:00PM】

寝てしまったジョンベネを父親のジョンが抱き上げてベッドまで連れて行き寝かせた。



これが両親が生きているジョンベネを見た最期となった。


JonBenét had been up late with her parents for a family friend's party.







【ラムジー家の本宅】

大きな家で奥行がある作り

後から増築したのが画像からも分かる。





f0365255_20420860.jpg





3階はジョンとパッツィのベッドルームそして夫妻それぞれのドレッシングルームがあった。


2階にジョンベネの部屋と、バークの部屋、そして滞在時用に異母兄弟アンドリューとメリンダの部屋もそれぞれあった。







【1996年12月26日】


【深夜0時】 

ラムジー家のキッチンの灯りが点いていたことを近所に住むスコット・ギブソンに目撃されている

The family’s neighbor, Scott Gibbons, remembers seeing a light on in the Ramseys’ kitchen.




【2:00 AM】
近所に住むメロディ・スタントンがラムジー家から悲鳴のような声を聞いている


さらに彼女の夫がその悲鳴の直後にコンクリートに当たる金属音のような音を聞いている


しかし数年後、メロディは悲鳴を聞いたのは2日前の夜だったかもしれないと当時の証言を訂正している






【5:30 AM】

ジョンベネの母パッツィー起床。コーヒーを淹れようとキッチンへ向かったところ、ノート2ページ半に書かれた脅迫状を見つける。




f0365255_20315123.jpg






そこには「ジョンベネを誘拐した、娘を返してほしければ11万8,000ドル(約1,266万円)を現金でよこせ」と手書きで書かれていた。



奇妙なことに、この11万8千ドル(約1,266万円)はその年のジョンベネの父ジョンのボーナスの額とほぼ同額だった。


さらにこの脅迫状はラムジー家のキッチンに置いてあったノートに書かれたものと判明。


つまり、犯人はジョンベネを殺害したあとに、その家の台所で脅迫状を書いたことになる。

他に類を見ない犯行だと警察も発表している。







【5:45 AM】

この脅迫状を発見してすぐに、パッツィーは友人であるホワイト夫妻とファーニー夫妻に電話をしている。







【5:52AM】

パッツィーはようやく警察へ通報をした。


娘が誘拐された、脅迫状が置いてあると言い、警察に早く来て、早く来てと訴えているパッツィの音声が残されている。


Patsy finally calls the police, detailing the supposed kidnapping and the demands on the ransom note.







【5:59AM】

フレンチ警察官が一番最初にラムジー家に駆け付けた。





【6:00~8:00AM】

4人の警察官が到着。


さらに、このときジョンベネの両親は自分たちの友人を複数電話で呼び寄せている。






【8:10AM】

誘拐だと思っていた彼らはラムジー家の邸宅をくまなく探し始めた。


大勢で家中を歩き回りジョンベネを探し回ったために現場が乱されてしまった。


このせいで犯行当時の家の状況が維持されなかったとして初動捜査を行った警察官らへの不信を招く結果になっている。








【10:30AM】


父ジョンが、少なくとも1時間行方不明になる。ジョンはこのとき郵便物を受け取りに行っていたと答えている。





f0365255_20473674.jpg



しかし後からジョンの発言は嘘だと判断されている。

郵便物は本宅の正面玄関に設置された郵便投函箇所から投函されていたのだ。






【1:05PM】

父親のジョンとその友人フリートの2名が地下の一室で変わり果てた姿のジョンベネを発見。





f0365255_20495074.jpg




後の調べにより発見された当時ジョンベネは頭蓋骨を骨折しており、

さらにダクトテープ(ガムテープよりも粘着性が強いテープ)で口をふさがれ、

両手とウエストは縛られ、

そして首にはコードで巻かれた跡があった。



ジョンベネの直接の死因は「窒息死」と断定されている。



John and Fleet discover JonBenét’s body in a spare room in the basement.





【1:40PM】

父親ジョンが自身のパイロットに電話をし「アトランタへ飛ぶ」用意をするように指示している。

警察がこれを止めた。家族はこの町から今は離れないでくださいと。


ちなみにジョンは自身もパイロットの免許を持っていてジョン自身で飛行機を飛ばすこともあった。





【1:45PM】

警察の言葉を聞き入れて、ラムジー一家は友人のファーニー夫妻の家でその夜を過ごした。

娘ジョンベネが遺体で見つかった家にその夜はいたくなかったのだろうか。


その日、午後2時頃、警察はジョンベネの兄バーク(9歳)にも事情を聞こうしたが両親によって拒否されている。

両親によるとバークはずっと自分の子供部屋のベッドに寝ていて、何が起きていたのか知らなかったと。

しかし、数年経ったあとに、パッツィから通報を受けたオペレーターが、電話を切る前にパッツイの声とは別に男の子の声が聞こえたと証言した。

当時の911通報の音声を分析した結果、そればバークのものだと判断されている。




そして大人になったバークが2年前、初めてテレビ番組に出演した。



f0365255_20311739.jpg




当時の様子を語る彼は終始笑顔で視聴者はその様子を異様に感じた。


当時、自分のベッドに寝ていたとされたバークは母親のパッツィが「私のベイビーがいなくなった、私のベイビーが!」と叫んでいるのを聞いたと証言。


その様子を、笑顔で語るバークは人々の目に奇異に映り、真犯人は兄のバークだとする説が過熱。



インタビュアーが「笑顔だったのは、彼が初めてテレビのインタビューに出たためで、緊張して笑顔になっていたんだ」と、異例のフォローをした。




その後、事件発生の前日に着ていたジョンベネの衣服からDNAが採取され、調べた結果、殺されたときについていたDNAは家族の誰のものとも一致しなかったと判定。



晴れて、ラムジー家は皆、容疑者リストから外れた。




しかし、これに反対する学者もいる。

あのDNA検査は、超微量のDNAだけでも判断が下される。

あれだけで、家族を容疑者リストから外すことには反対せざるを得ないと。






真犯人に結び付く情報を提供した方へ10万ドル(約1千万円)の懸賞金を差し上げるとテレビで訴えたジョンとパッツイー。

f0365255_20312697.jpg




いかがでしょうか。

2018年現在もまだ、犯人特定に至らず。


ジョンベネちゃん殺人事件は未解決のままです。




亡くなった年の大晦日、ジョンベネは埋葬されました。












[PR]
# by imalatebloomer | 2018-04-16 20:56 | mystery | Comments(0)


マリリンモンローはそのミステリアスな最期によって今でも様々な憶測が飛び交う存在です。

f0365255_22135964.jpg


今回は彼女の最後の1日を少し書いてみたいと思います。

Marilyn Monroe was found dead in her bedroom on August 5th 1962 by her psychiatrist. She was just 36 years old.

マリリン・モンローは1962年8月5日、ベッドで死去しているのを彼女の精神科医によって発見されました。36歳でした。


マリリンモンローの死因は薬の過剰摂取、そして自殺の可能性もあると発表されました。

However many people including the first police officer to arrive at the scene of the death believed she was murdered.

しかし最初にマリリン・モンロー宅の現場に到着した警察官も含め多くの人が、彼女は殺害されたと信じています。

The Housekeeper
Marilyn’s housekeeper was a key witness.

マリリンモンロー宅には家事を担うハウスキーパーがいました。有力な目撃者です。


We know that housekeeper was around the night that Marilyn died.
The housekeeper originally said she had knocked on Marilyn’s bedroom door at midnight and after receiving no answer called the doctor who broke in through the window after seeing Marilyn’s lifeless body.

そのハウスキーパー自身が当時の発言はマリリンモンローが亡くなった日の深夜、マリリンの部屋をノックし、なんの返事も無かったために担当医師に連絡したという証言でした。連絡を受け駆けつけた医師がマリリンの動かない体を外から見て、窓を破り中に入ったのです。


However, the housekeeper changed her version of events and then said that she actually went to bed at midnight and called Dr Greenson at 3am when she saw Marilyn’s bedroom light on was left on. She went on to change her story many times.

ところが後になってそのハウスキーパーは発言を撤回し証言を変えました。
ハウスキーパー自身は夜中にすぐ就寝したと言ったのです。
ところが気づいたらマリリンの部屋の明かりがついたままだったため、深夜3時に担当の精神科医を呼んだと。ハウスキーパーの話はその後も二転三転しました。


この話には続きがあります。

This housekeeper took part in a 1985 BBC Investigation into Marilyn’s death.
She told the same 1962 version of events.
However, not realising her microphone was still on at the end of the interview and she said “Why, at my age, do I still have to cover this thing?”


このハウスキーパーは1985年にBBCのマリリンモンローの死を巡る特別番組に出演しました。
ハウスキーパーはマリリンの死亡当時1962年に語った同じ話をしました。
ハウスキーパーはインタビューの最後でまた自分のマイクがオンのままになっていることを知らこう言いました。
「この歳になってまでなぜ私がこの事を隠さなきゃならないの」

Apparently she admitted that Monroe was not dead when the doctor arrived but she never revealed any more information and died in 1994.

このインタビューで明らかにハウスキーパーは認めてしまったのです。
医師が駆けつけた時マリリン・モンローは死んでいなかったことを。
しかしハウスキーパーはこの後は何も語ることをせず1994年に亡くなりました。


親しかったケネディ大統領とその弟ロバートとマリリン・モンロー。
f0365255_22341761.jpg


The FBI

There has always been rumours that the FBI were at Marilyn’s house the day before she died.

FBI
マリリンモンローの死にはFBIの影もつきまといます。
FBIはマリリンモンローの死の前日に彼女の家を訪れているという噂です。


It was the time of the Cuban missile crisis, the political atmostphere was intense.

当時はキューバ危機の真っ只中でした。
キューバを巡ってアメリカと旧ソ連が睨み合い、すわ核戦争かというほど緊張が高まっていました。
ちなみに当時のアメリカ大統領はあのケネディー大統領です。マリリン・モンローと不倫関係にあったと言われています。


The FBI were convinced that Marilyn was mixing with known communists and so they opened a file on her as a possible subversive.
Could this have been a factor in her death?

FBIはマリリンが名の知れた共産党員と付き合いがあることをつかんでおり彼女を危険人物としてリストしていました。
これがある意味でマリリン・モンローの死の原因なのでしょうか?


All we know is – somewhere between 4th August at 9.30pm and 3.50am on the 5th August, Marilyn Monroe died.

今のところ分かっているのは、
8/4の21:30〜8/5の03:50の間にマリリンモンローは亡くなったという事実です。


読書が好きだったマリリン・モンロー。
f0365255_23270529.jpg



So was it suicide?
Marilyn took her own life?
Her psychiatrist had recorded many interviews with her and it showed Marilyn to be positive and fairly optimistic. These tapes subsequently disappeared.

ではこれは自殺だったのか?
マリリンは自分で死を選んだのでしょうか?
彼女の精神科医は彼女とのインタビューをたくさんテープに撮っていたそうです。
彼女はとても前向きで非常に楽観的であった。
ところがこれらのテープはその後、忽然と消えてしまった。


Marilyn was also looking forward to getting back to filming and she felt that her therapy was working.

加えてマリリンは映画の撮影に戻る予定があり、彼女は精神科医のセラピーがうまくいっていると感じていたそうです。

Apparently this is not the action of someone who is thinking of taking their own life.

明らかにこの状況は自殺を選ぶようなタイミングではなかったといえます。


f0365255_23270664.jpg


And then there is the case of the missing glass.
When Police searched Marilyn’s bedroom, they noted that there were a number of pill bottles in the bedroom but there was no glass and no water in the bedroom.

グラスの謎。
当時警察官がマリリンの死亡したベッドルームを調べたところ、いくつかの薬があったそうです。
ところがそこには薬を飲むためのグラスも水も全くなかった。


Marilyn apparently was known to struggle with washing down pills and needed big gulps of water, so it was strange that there was no drinking vessel in the bedroom.

マリリンは薬を飲むときにたくさんの水を飲むことで有名でした。
ところが薬が置いてあるにもかかわらず全くグラスも水もなく、とても奇妙に見えたそうです。


Mysteriously a glass was later found on the floor by her bed but police swear that it wasn’t there when they first searched the room.

不思議なことに後にグラスがマリリンのベッド横の床に落ちていることが発見されました。
ところが最初に捜査に当たった警官はそこには全くクラスはなかったと主張しているのです。


Theories and rumours of murder have always been linked to Marilyn’s death and often the Kennedy’s name has been linked with that night.

マリリンは殺害されたとする陰謀説や噂が常に付き纏い、そこにはケネディー大統領の名が浮上します。


She was a security risk to President John F Kennedy’s government having had an affair with him and known him intimately.

マリリンはケネディ大統領と当時の政府にとって危険な人物でした。
マリリンとケネディー大統領は不倫関係にあり非常に親しい関係であった。


The CIA had placed electronic surveillance on Marilyn because of her closeness with the Kennedys.

CIAはケネディー大統領と親しくするマリリンを常に監視していたと言われています。


Did Robert Kennedy visit Marilyn on the night she died?

マリリンが死亡した当日ケネディー大統領の弟ロバートはマリリン宅を訪れたのか?


Her housekeeper seemed to think so.
There had been a violent argument in the house that night apparently which Marilyn’s doctor had to calm down.

マリリンのハウスキーパーによるとケネディー大統領の弟ロバートはその日マリリンの家を訪れた。
そして激しい言い争いになりマリリンの担当医師は彼女を落ち着かせるため投薬したと証言しています。


But there was someone else there too. In a recent interview, the housekeeper’s son-in-law was there.
He said that Robert Kennedy turned up with two men at 10pm on the night that Marilyn died.


そして最近わかったのが、その日ハウスキーパーの義理の息子もマリリンモンローの邸宅にいたという事実です。
ハウスキーパーの義理の息子は、一旦帰ったロバートケネディが夜10:00に男性2人を従えてマリリン宅に戻ってきたと証言したのです。


He and his mother-in-law were ushered out of the house and when they returned they found Marilyn’s comotosed body in the guest cottage.

彼は、義理の母のハウスキーパーとともに一旦外に出されて再度戻ってきたときには昏睡状態のマリリンが来客用コテージに寝かされているのを目撃しています。

f0365255_23270643.jpg


The son in law claims that it was the Los Angeles Police Department intelligence division that turned up and moved Marilyn’s body and create the “suicide in the locked bedroom” scenario.

彼は、そこにはロス市警の情報局が来ておりマリリン・モンローを移動させて、「自殺した密室の寝室」と言うシナリオを作り上げたと主張しています。


このようにマリリン・モンローの最期は様々な憶測が飛び交います。


f0365255_23270688.jpg


彼女はケネディー大統領と親密になり結婚してほしいと迫っていたと言われています。
マリリン・モンローの情熱にケネディー大統領は付き合いきれず冷たく別れを伝えたと言われています。


錯乱状態に陥ったマリリン・モンローがケネディとのすべてを記者会見で暴露すると迫ったと言われそこからマリリン・モンローへの監視が強くなったそうです。

当時のトップシークレットであるキューバのカストロ暗殺の方法をマリリン・モンローは知っていて近しい知人にそれを伝えていたと言われています。
その方法はアメリカのCIAが
現地キューバのマフィアを利用し殺害するというものでした。
このことは2007年に公開されたアメリカの公式文書でマリリン・モンローの発言が正しかったことが裏づけされています。
つまりマリリンがアメリカのトップシークレットを手にしそれを暴露しうる存在だったということになります。
ケネディー大統領や時のアメリカ政府にとっては非常に脅威だったと思います


実の母親が精神病を煩い子育てができず里親を転々とした幼い頃のマリリン・モンローが大人になってもそこにいたのか。
彼女の華やかな笑顔から垣間見える寂しげな素顔に人々は今も魅了されているのでしょうか。

f0365255_23270635.jpg



マリリン・モンローが亡くなった日は土曜日で彼女ほどの華やかなスターが相手もいず1人孤独に死んでいったことに人々は驚きました。

悲劇のマリリン・モンローですが最後に元夫のジョーディマジオが彼女へ永遠の愛を誓ったことは一筋の光のように思いました。
マリリン・モンローよ安らかに眠れ。

f0365255_23270750.jpg






















[PR]
# by imalatebloomer | 2017-05-04 22:08 | Comments(0)